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地球は暴走温室効果の瀬戸際

地球は暴走温室効果の瀬戸際

四章 その2

脳と精神

私達の精神を宿すこの人間の脳は、百億個以上の神経細胞があり、それに一個平均十万個ものシナプスにより他の神経細胞と繋がりを持ち、そのシナプスの繋がりの総数は十の十五乗にもなる極めて複雑な器官である。様々な機器や脳外科の進歩やてんかんの治療における様々なデータの集積により、かなり脳についてのかなりの知識を得ることが出来る様になって来たが、現在に於いてもそのほとんどは、まだ未知の状態であり医学者や研究者がそれについての研究に日夜励んでいる。

そのような中で私みたいな学者でもなく研究者でもない、素人の門外漢がこの極めて複雑な脳や精神について語る事は、適切でない事は十分承知しているが、この本が心そのものをその主題としているので科学的な根拠は無いが、精神と脳について私の知り得る限りの知識と信念を述べてみたい。

この地球上に生命が生まれて三五億年以上になるが、心とも言える現象が生まれてどれ程になるだろうか。これ迄近代ヨーロッパに誕生した、合理主義によると精神を持つ生物は、人間だけであると考えられて来たが、現在の私達の理解では人類に最も近いチンパンジー等の類人猿や、人間よりも大きい頭脳を持つイルカ等の鯨類や、象等もかなり高等な精神を持つと考えられている。

その他の動物もその脳に合わせて、様々なレベルの精神と心を持ち、神経細胞を持つ最も原始的な動物である、クラゲ等の仲間の腔腸動物にも、心とも言える現象は存在すると考えている。それだけではなく神経細胞を持たない植物も、様々な植物ホルモンを通じて思考をし、心とも言える現象は存在する。

また単細胞の生命体ももっと明確な形で心を持ち、代謝的な意味での思考をしていると考えており、DNAは心の空間の設計図であり、この地球上にすむ生命のほとんどは、DNAの上に刻み込まれた遺伝子だけでなく、そのDNAの示す空間内にその何十倍あるいはそれより悠かに多くの遺伝子と、それぞれの生命が通ってきた、代謝的な心そのものの進化の歴史が、折り込まれていると私は考えており、それぞれの生命に固有のその遺伝的な空間の中で、生命は様々な関係において思考を行ない、その隠されている遺伝子を発現させると考えている。それは主に発生段階に様々な組織の形成や、脳の神経細胞の間の配線あるいは、本能的意識の形成などに使用されていると考えている。私は心は生命の属性であり心を持たない生命体は存在しないと考えている。

またこの地球に生命が誕生する前の、様々なアミノ酸や核酸の原料となる様々な物質が貯まった場所に、確実に存在したと思われる散逸構造を、心とも言える現象の萌芽であるとするなら、心とも言える現象は何処にでも起こり得る普遍的な現象であり、生命の誕生前から存在し、生命を生み、進化させたのも心とも言える現象そのものだったと、考えられるのではないでしょうか。

全ての物質に心とも言える現象が存在するとは思わないが、複雑な関係を持つ散逸構造の中に置かれた物質は、あたかも意志を持ち生きているかのように振る舞う事がある。そのような中で物質と物質の相互進化により、自ら自身を組織化する能力を持つに至り、様々な機能を持つ蛋白質を生み出し、生命を誕生させたのではないでしょうか。そしてさらに上のレベルの散逸構造では、生命の様々な種類の相互関係が、生物同士の相互進化引き起こし、この地球上数えきれない程の、多様な生命を誕生させたのではないでしょうか。

 

神経の進化私達の脳を構成する神経細胞は、何にその起源を持つのでしょうか。

現在の定説ではホルモン分泌細胞に、その起源があると考えられており、人間ではその長さが二メートルに達するものも有る。その神経繊維はその末端部からホルモンの一種であると考えられている、伝達物質を通じて、他の神経細胞に情報の伝達を行なう。神経細胞はその情報を目的の神経細胞に速やかに、そして標的の細胞に的確に情報を伝達する必要から、軸策つまり神経繊維を、発達させ進化したものと考えられている。

それらの事は神経繊維を持たない神経細胞(APUD細胞、パラニューロン)などが消化器官や、甲状腺そして脳下垂体など、私達の体に多数存在しており、また神経細胞の軸策(無髄神経)の中を、各種のホルモンが流れる現象が視床下部で発見されており、これらは他の神経細胞との様々な、形のコミニケーションに使用されていると見られ、神経細胞同士の配線に大きな役割を果たしていると考えている。

神経細胞の情報伝達速度は、軸策を持たずホルモンを情報の伝達に使用する、原始的な神経細胞で、毎秒数ミリから数センチにしかならないのに、さらに進化した軸策を持つ神経細胞になると、毎秒一メートルにもなる。さらにその軸策にグリア細胞とシュワン細胞がその細胞質を捨てて、神経繊維に巻き付き髄鞘が形成され、電気絶縁被覆の出来た有髄神経を持つ、神経細胞ではその伝達速度は毎秒百メートルにもなる。また神経繊維が有髄神経に変わる時それまで使用された、様々な神経ホルモンは使用されなくなり、アセチルコリンという神経伝達物質だけしか使用されなくなる。

また無髄神経は原始的ではあるが、神経繊維が切断されても、元どうりに再生する能力があり、新たな神経繊維の発芽をして、神経細胞間の配線の変更や増設も行なうことが出来る。神経学者のスペリーの実験によると、金魚の目からくる視神経を切断すると、切られた神経は多数の発芽しながら、適当でない区域を迂回ししながら、金魚の脳の視覚系の定められた場所にと、のびてゆく事が実験で確かめられている。この無髄神経は広い範囲に分布しており、脳幹にある神経は一生を通じて無髄神経のままだし、人間の場合大脳や小脳の神経も、新生児はその全てが無髄神経の状態で、六~七才になるとその大部分が有髄神経に変質する事が知られている。

 

記憶はどのようにして起こるか

脳の研究が様々な機器やてんかん等の症例の研究から、かなり進んで来たにもかかわらずこの脳における最大の謎でも有る、記憶のメカニズムが解明されていない。大脳被質における様々な機能の多くが、記憶機能にその源があると考えられておりその記憶のメカニズムが解明できないかぎり、それらの仕組みは理解出来ないだろう。

ワトソンとクリックによって遺伝子としてDNAが発見され、それに触発される形で脳における記憶のメカニズムとして記憶の分子説、つまり脳における記憶は何等かの形でRNAに記録されるという仮説が誕生した。この仮説はとても魅力的で説得力のある仮説であり、一時期それを検証するデータも出されたが、しかしその実験は誤りである事が確認され、現在では(記憶のRNA説)は否定された形になっている。

人間の脳には百五十億個の神経細胞と、一個の神経細胞に平均して八万から十万総数で十の十五乗もの神経の接続部分(シナプス)あるが、記憶にはこのシナプスが関係しているという仮説が一九世紀末タンツイによって出されたが、これが最近になってこのシナプスには様々な可塑性があり発芽をしたり、それ自身で繋がる相手を選ぶような事が知られてきた。記憶にはこのシナプスが関係しているという、記憶のシナプスは最近多くの実験的な裏付けを得て来ており、その可能性は高いと考えられている。また人間の神経細胞のシナプスは十の十五乗有るが、これが人間の記憶容量であると考えるのは賛成できない。これだけでは人間の持つ能力を説明する事は出来ないだろう。私は人間の脳がコンピューターと同じ二進法を使って、その仕事をしているとは考えていないが、仮に二進法を使ってその仕事をしていると仮定して見ても二の十乗の十乗およそ十の三0乗有ると考えた方が正確ではないかと思っている。それは記憶現象は一つ一つの脳細胞の興奮パターンによって起きていると考えられ、それはカール・プリブラムの脳のホログラフィ理論でも説明される。

 

さらにこれに科学的な根拠もなく、専門家でもない私の考えを付け加えるなら、各々の神経細胞には平均して八万から十万のシナプスの繋がりが有ると言われるが、私は此等のシナプスの内、実際に情報伝達のために働いているのは数%程度であると考えている。残りの大部分のシナプスは新たな回路構成のため、あるいは記憶のための予備シナプスとして存在していて、神経細胞同士の化学物質によるコミニケーションは行なわれているだろうが、通常それらのシナプスでは実際の情報の伝達は行なわれず、情報は何等かの形でブロックされているのではないだろうか。

そして此等のシナプスの間で記憶現象が起こる前に、相互に各種の神経ホルモンによるコミニケーションが行なわれ信号の流れる方向と機能が決められ、そして情報をブロックしている物質を変質させ、そして情報伝達物質としてアセチルコリンまたはその神経細胞に特有な神経伝達物質を使用する情報の伝達体系が完成するとき、情報の記憶という現象が起きると考えられる。またそれと同時に神経繊維の髄鞘化が始り長期の記憶として完成し、それによって新たな神経回路網が形成されれ、神経細胞に新たな活性シナプスが付け加えられるのではないかと私は考えている。

それはアルツハイマー型の老人性痴呆症等において、脳のアセチルコリン合成酵素の活性が不足し、神経伝達物質であるアセチルコリンが不足して来ると共に、記憶障害が表れ知能が低下して来る。またこのアセチルコリン遮断剤を健康な青年に投与すると記憶能力が低下する事が実験で確かめられており、記憶と実際に働く神経回路網の構成において、アセチルコリンが関与している事は十分に推定する事が出来る。

神経化学者ジャク・R・カッパーは、神経細胞が他の神経細胞とコミニケーションをする事が出来るようにする、特別な物質を神経細胞の軸索の中に発見したが。神経細胞における軸索とシナプスは単に情報の伝達を行なうだけのものではなく、それより悠かに高度な神経細胞の代理とでも言うべき機能を担っていると考えており、その軸索が繋がる方向と相手を選び出し、そしてシナプスは軸索を流れる、神経細胞同士のコミニケーションに使用される化学的情報の整理ない、神経繊維の髄鞘化と記憶という現象の主役になっているのではないでしょうか。このように神経細胞の軸索にもそしてシナプスにも、心とでも言うべき現象の、萌芽さえも見る事が出来るのではないでしょうか。

ただお断わりしておかなければならないのは私は記憶について研究している専門の学者ではないから、私のこの仮説を立てる根幹となっている情報のブロック、つまり一つの神経細胞は十万にも達するシナプスを持っていて他の神経細胞と繋がっているが、それらの内の一部しか実際の情報の伝達の仕事をしておらず、大部分のシナプスは神経の電気的な興奮が伝わって来ても、何かの物質的な要因によってその情報はそこで止められ、そのシナプスが繋がっている神経細胞に電気的な興奮が伝達されない。という現象について、それを確認する手法を何も持っていないのです。私の唱えるこの仮説もこの現象が存在しないならこの仮説は単なる私の空想であり全て誤りです。

 

脳の記憶における海馬の機能について

記憶という事を語るとき必ずと言ってよい程、引き合いに出されるのはイギリスのH.Mという人だが彼はてんかんの発作で苦しんでいた、一九五0年その当時は海馬を切除する事によって、その発作を抑える事が出来ると考えられていた。そこで外科的な手術が行なわれたのだが、その事によって記憶に、対して大きな影響が表れる事になった。H.Mは時間にして十分も記憶を保つことが出来なくなったのだった。手術前の記憶は残っているのだが海馬を切除した後の出来事の全てが、記憶として残らなくなってきたのだった。このような事から海馬は、長期の記憶の造成には欠かせない組織である事がわかる。短期の記憶のメカニズムについてはほとんど分かっていないが、神経回路網における循環的な信号の流れがその役割を果たしているという説もある。

イギリスの神経学者ヒューリングス・ジャクソンは、人間の脳の言語領の下にある解釈領といわれる場所に、電気的な刺激を与えると、過去に経験したことがその場所に居るかのように克明に再体験する、映画で言うフラシュバックのような現象が起こる事を発見した。このような事からこの解釈領は、海馬と共に記憶において重要な役目を担っていると考えられている。

通常私達の意識が事象を認識するとき、その事象を細かい部分情報に分けて、それを様々な部分を認識する、専門の領域の専門の神経細胞の、共同作業により事象を認識しているのだが、脳の解釈領は脳幹の統合野と共に意識と連動して、事象の認識に参加した大脳の組織、領域と神経細胞をモニターしていてそれをコード化し、その段階で短期の記憶が造成され、脳の海馬の機能によって前の項目で述べたような、あるいは別の何等かの形で刻印され長期の記憶として残るのではないかと私は推定している。

脳幹の統合野は記憶を再生するとき大脳の各領域と連絡をとりながら解釈領は記録されているコードを読みだし、それを海馬を通じて、それぞれの領域に割り当てる事によって意識に、記憶を再生するとも考えられる。

ただ現在の脳神経の研究者の認識では、記憶に関する系統は一つのものではなく複数有るという考え方もあり。健忘症患者は数時間前に見たものは思い出す事は出来ないかも知れないが、目の前に数時間前に見たものを出されたら、それを選びだせる事が分かっている。私達の脳における記憶に関するもう、一つの考え方として海馬との連携により解釈領にその事象に関する、長期の記憶を統括するコードが書き込まれるのとは別に、その事象に関する記憶がそれの認識に参加した、大脳被質全体の各領域の各組織に分散されて記憶され、その組織の神経細胞やシナプスの刺激の頻度に応じてシナプスを変質させて中期や長期の記憶として残し、それと共に新たな回路網が開かれ脳自身の自己組織化が進み認識精度が向上し、これまで認識出来なかったような事も認識出来るようになって来たのではないだろうか。

脳の解釈領は大脳の各領域に分散されて記録されている記憶を、総合統括する中枢として働き、記憶の検索そして、大脳の各領域との連携して、意識に記憶を再生しているのではないだろうか。そのために海馬の機能が働かず解釈領にその記憶を統合するコードが存在しなくても、解釈領にその記憶に関する概念が与えられるなら、脳の各領域と連動しその各領域に記録されている記憶を、意識に再生しているのではないだろうか。それによって健忘症患者や海馬を切除したH.Mという人に起こった、出来事すなわち手術前の長期の記憶と、その後の十分前後の短期の記憶のみが正常に機能し、そして手術後の長期の記憶は思い出す事は出来ないが、数時間前に見たものを目の前に置かれた場合それを再現できる事などを説明できるのではないだろうか。

 

個体の発生と脳と精神の誕生

私達人間の持つこの体も、そして複雑極まりないこの脳も、そしてこの精神も元をだどればたった一つの細胞から生まれたのは間違いない。あたり前の事だがそれはまた極めて複雑で神秘的な出来事でもある。将来どれほど科学が進歩しDNAに五十億対そして十万有るといわれる人間の遺伝子の、全てが解明されたとしても、人類がこの事についてその全貌を知る事は、たぶん出来そうもないだろう。

個体の発生の過程は、その生物種が進化の過程で通って来た、過程を繰り返しているという学説を発表したのはヘッケルという学者だが、それから百年以上の歳月が過ぎ去り、生命の本質にせまる遺伝子が発見され、遺伝子の組み替えの技術などライフサイエンスが格段の進歩を遂げたと言うのに、生命の発生と我々の脳がいかに配線され、精神が誕生するかという事のについての我々の知識は、ヘッケルの時代からそれからさらに進歩したとは、とても言えないのではないでしょうか。

現在の私も発生についての知識は、高校で習った以上の知識は持っていませんが、発生と脳における神経細胞がどのようにして、配線されるかにについの私の信念を述べてみよう。人間における発生が、女性の卵子に男の精子がその時では数億分の一、人間一人の生涯においては数兆分の一という、劇的な競争と奇跡的な偶然によって選ばれた、一対の細胞の合体により受精し、細胞の分裂が始まり細胞数の急激な増大によって、胞胚になると共に他の細胞を導き分化させる、最初のオルガナイザー(形成体、哺乳類の場合では頭突起と呼ばれる、中胚葉で将来脊索になる領域)が誕生する。私はこのオルガナイザーに心の萌芽を観ることが出来ると考えており。このオルガナイザーは、ある種のホルモンにより細胞を誘導し分化させ、それ自身もそれぞれの器官や組織へと分化してゆく。器官、組織の様々な発生段階に応じて、それぞれの器官、組織に入れ替わり、立ち変わりオルガナイザーが誕生し、あるいは役目を終え、この極めて複雑な生命体の様々な器官や組織が形成されてゆくのではないでしょうか。

ヘッケルも言ったように、生命の発生における器官や組織の分化は、その生物種の進化の系統をなぞるように構築される。受精の後細胞の分裂が始まり、オルガナイザーの働きによって組織の分化がある程度進み、神経管が組織される共に一部の神経胚はオルガナイザーの作用により、脳の分化も進化の系統を追って形成され。まず最初にホルモン中枢となる脳下垂体が最初に誕生し、それと共に各々の器官や組織の、オルガナイザーを統括するオルガナイザーとしての機能を、この脳下垂体が担うようになるのだろう。そして神経細胞の分化が始まり、脳下垂体の出すホルモン作用により、その一部の神経細胞は脊索にそって軸索を伸ばし始める、ともに呼吸や消化や排泄等の生命維持の仕事を行なう、生命の脳とも言われる脳幹の原型が形作られる

この脳幹にはその内側に、編目状の脳幹網様体と呼ばれる、神経細胞ががあり、それを包むようにして神経繊維の束がある。脊椎動物の進化の段階で、様々な筋肉や様々な認識機能を調整する必要から、有髄神経を中心とした神経細胞数の増大が起こり、脳幹の内側からそれが茸のようにめくれ上がって出来たのが、運動を微調整する小脳であり、全身の活動と、認識機能を調整する大脳なのである。

人間の発生段階における脳も、進化の系統をなぞるように、初期の脳幹からまず小脳の元になる神経細胞の増大が起こり、そして大脳の元になる神経細胞の増大が起こる。脳幹の大きさの比率は、人間も他の脊椎動物もそれ程変化はないが、人間の大脳は類人猿に比べても一桁、他の哺乳類に比べて二桁も、大脳が大きい。それは人間の場合大脳の細胞が他の哺乳類に比べて、一回か二回余分に分裂したためではないだろうか。そしてそれをコントロールしてきたのは脳下垂体の分泌した、特別なホルモンだろう。人間の脳の大枠は受精後四ヵ月から五ヵ月で完成し、神経細胞数の増加は止まり、それ以後の脳の重さの増加はグリア細胞の増加と、神経細胞の樹状突起の成長によって起こります。人間における主な神経回路網は、生後一年でその八十%が完成し、それに付随して髄鞘化が急速に起こり三歳から四歳までに、その脳の容積と重量は成人の七十%に達します。それ以後の脳の成長は緩やかで二十年で完成しますが、脳における髄鞘化と神経回路網の成長は人間の一生を通じて行なわれる部位も有ります。

スペリーの行なった実験で極めて複雑な神経細胞間の配線は、厳密ではないが遺伝学的なメカニズムのもとで、神経回路網が形成されることを示した。しかし現在の私達の遺伝子に関する知識では、人間の遺伝子は十万のしか無いことが知られており、これで人間の各種の組織や臓器の分化や、百五十億個の神経細胞と十の十五乗も有るといわれる、神経繊維とシナプスについて説明する事は不可能に近い。私はこれまて何度も遺伝子はその生物の心の空間の(あるいは環境)の設計図で、それぞれの生命を構成する体細胞のレベルでも心とも言える現象は存在すると述べて来たが、そう考える以外に生命の発生と脳の神経回路網について説明する手法が、私には思いつかないからである。

遺伝子で発生段階の全ての体細胞は、なんらかの物質を通じて他の細胞とコミニケーションを行なっていると思われるが、神経化学者のジャク・R・カッパーは神経細胞が他の神経細胞と、コミニケーションをする事が出来るようにする、特別な物質を神経細胞の軸索の中に発見した。この物質が隣接した神経細胞の化学的な思考空間を変質させ、そのメッセージを次々に他の神経細胞に伝えているのたろう。また神経細胞の中にはm-RNAが他の体細胞に比べて多い事が知られており、神経細胞が他の神経細胞とコミニケーションをしながら、また軸索自身が代謝的な思考をしながら、神経回路網を形成していると考えるしかこの複雑な神経回路網の、形成について説明する事は出来ない。

遺伝的なシステムによって神経回路網が完成しても、それがすぐに機能する訳ではない、単にコンピューターのハードウェアが完成しただけに過ぎないのだ。此等の回路網の完成はそれが機能する環境が完成しただけにすぎないのだ。それに遺伝的に合成される様々な化学物質を根源の衝動とする、様々なシュミレーション機能と神経細胞間のコミニケーションによってシナプスを変質させ、本能的な行動の領域と脳全体を統合する領域のプログラミングをする。大脳においては遺伝的なシステムによって作り出された回路網(コンピューターのような機能を持っているだろう。)にさらに出生後の外界の様々な刺激による学習と記憶によるプログラミングによって、初めて脳として機能する神経回路網、ファームウエア化された回路網が作り出され、それが様々な機能を持つ組織や領域となり、それら様々な機能の有機的統合体としての、意識や精神が誕生すると私は考えている。

以上が私が脳について知り得る限りの知識と信念であるが、現在の科学が知り得た脳についての知識は従来考えられていたような単純な、電気的な反応系としての脳ではなく、それに数百種類以上の様々な神経ホルモンとによって、有機的に網の目のように複雑に構成された、電気化学的なシステムとしての脳の姿である。一昔前まで一個の神経細胞は一個のトランジスタくらいの機能しか持たないと考えて来たが、現在の研究者や学者の考えでは神経細胞は、一個のトランジスタとは比較にならない程の複雑な機能をし、それを人間の作った電気的な素子に例えるとするなら、トランジスタが数千個も集積されたLSIかマイクロコンピータにも、匹敵する複雑な機能を持っていると考えている。電気的な反応系として表れている神経細胞の機能は、おそらくは数百以上あると推定される機能の内の、完成されたひとつの面を観ているだけではないだろうか。そして私たち人間がその神経細胞の機能の全てについて知る事はおそらく出来ないだろう。

私達人間の体には単細胞生物の代謝的なレベルの心から、腔腸動物と同じようなレベルの脳が、腸官や体の各所にありさらに、爬虫類から哺乳類へと、進化において通ってきた系統のその全てを、体や脳にその痕跡を持っている。

さらに私達の、この脳はかなり独立して機能する脳が多数集合して、私達のこの巨大で神秘的な脳を構成していると言う考え方もあり、此等の脳を統合している最高位の脳が生命の脳である脳幹である。脳神経外科の分野の経験と知識が増えるにつれて、大脳皮質は意識の破壊を伴う事無く、広い範囲にわたって切除する事が可能だが、脳幹の上部の一部が傷つけられたり働きが妨げられただけで、意識は消失する事が分かってきた。

しかしこの脳幹に意識を腑活する機能の存在は有るとしても、脳幹が人間の精神を作り出すのではないというのが、現在の脳神経学者や研究者の一致した見解です。また精神作用に間接に関与する領域は大脳に広く分布しているものの、直接に精神作用を行なっている領域は大脳のどの領域にも存在しないのです。精神を司る領域は脳のどこにも存在しないのです。

私たち人間の持つ神秘的な属性、過去の出来事を瞬時に思い出し思考をし推論をする、この世に存在する自己の意味を問い、そして宇宙と時空を超えて思考を巡らしまた、美しい音楽や詩歌をあるいは芸術を観賞して感動し、あるいはこの自然や草花や小動物を愛でる、そして絢爛たる現在の科学技術文明築きあげた、この私達の人間のこの精神はどこから生まれるのでしょうか。

私にはこの地球に生命を生みそれを、真核細胞へと進化させ、そして多細胞の腔腸動物から、脊椎動物である魚類そして爬虫類から哺乳類、そして最後に人類へと進化させたのは様々なレベルの心そのものであるという信念があるが、人間も他の全ての生命もその進化の段階で通ってきた、心の全てをその体内に宿している。私達の心は単細胞レベルの心から、消化器系など臓器や体の様々な部分にある腔腸動物レベルの脳と心、そしてそれらを統合しからだ全体をコントロールする、爬虫類のレベルの心から哺乳類から人間の精神に至る、様々なレベルの心が階層的に存在している。私達の大脳はかなり独立して自動的に働くコンピューターのような組織が多数集まっているという考え方もあり、それらを統合しているのが脳幹の上部である。

私達の精神ははそれらの様々なレベルの、様々な機能を受け持つ心が有機的な繋がりをもって形成されている。その姿は仏教の曼陀羅に例える事も出来るだろう。それはコンピューターが、単なるトランジスタの集合体ではないし、それを働かすソフトがなければ働かないように、脳にある様々な領域の機能の単なる集合体としては、とらえる事の出来ない機能を持つに至る。

人間の出生後の意識と精神の成長の状態を観察していると、それはあたかも外界にある全ての物が人間の脳にプログラミングをし、人間に意識を与え精神を作り出しているかのように思える。脳に意識と精神が誕生した後は、それ自身が脳のプログラミングの主役になる。そして精神は過去、現在における様々な事象の記憶と抽象的な概念と言葉による宇宙を生み出し、その中を心は自由に動き回り様々なイメージのなかで、様々な創造物を生産し現実の世界に言葉や様々な形として出力する事が出来る。それは様々な芸術を生み現在の科学技術文明を建設する原動力ともなった。

それはまた自分自身の発見したり学んだ言葉や、抽象的な概念自身が私達の脳をプログラミングし人格を形成する事にもなる。この私達の体を動かし脳自身を組織化させるのは、言葉と様々な概念の作り出す空間の中を遊泳していて、脳の中にもこの世にも何の実態も持たない幽霊みたいな存在である心そのものなのです。さらに付け加えるなら、たった一つの受精卵から始まり細胞分裂を起こし、様々な組織や器官そして脳などを分化させ、一体の生命、人間を誕生させるのも私達の持つ、様々なレベルの心そのものであると、私は考えています。

また人間に他の高等な哺乳類の悠かに及ばない、心的な能力を与えているのは、人間の脳によって作り出された言葉と様々な概念の作り出す空間(精神)そのものです。人間の心はこの空間を超えて動くことは出来ないし、人間における思考の自由もあらゆる行動も、この空間の中の自由でしかありません。そして人間の作り出した全ての芸術も文明も、そして全ての創造物も、この空間の中で生み出されたものです。この空間の限界が人間の全ての思いと想像力の限界です。人類が未来に成し得る事の全て、人間が認識し得る事の全てはこの空間の内にあります。人間はこの空間を超えて認識することも、考える事も出来ないのです。
 


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